村上春樹の6年ぶりの新刊。
彼の中に長年あった、あらゆるものを再構築したかのような、集大成のような作品だった。
デビューから現在までを、前期・中期・後期をわけるなら、
前期・中期のファンがワクワクする世界観であり、今も愛読しているファンは「あの世界が今だとこうなるのか」という新鮮な驚きに包まれると思う。
私たちは「時を止める」ことができるだろうか?
幸せなことがあったとき、「このまま時が止まればいいのに」と思うことがあると思う。
だからなのか、推し活をしている人は、時を止めたがる。
「あのときはこう言ってたのに」と裏切られた気持ちになったり、趣味趣向が変わると恋人ができたのではと疑う。
相手はどんどん変化していくのに、自分は同じことを繰り返す毎日を過ごしている。
そんな現実に向き合いたくなくて、幸せだった頃のまま時を止めようとする。
そうしていくうちに、周りと感覚がズレていってしまう。
過去にとらわれ、誰かに依存すると、どんな未来が待っているのか。
それを描いたロードムービーだと思いながら読んだ。
この物語にでてくる「街」とは、そういう人たちにとっての理想郷なのだと。
———ここからはネタバレ満載なので、未読の方はご注意ください———
いつもの村上春樹のようで、大きく違ったところ
正直、タイトルを見て「また壁か」と最初は思った。
村上春樹にとって「壁」は大きなキーワードのひとつであるにも関わらず。
私は何度も彼の長編を読み、そのたびに「壁」と向き合ってきた。
おそらくこの作品も、女性と何らかのトラブルがおき、壁を越えて自分と向き合い、「僕らは彼女とひとつにならなければならない」という啓示を受け、何らかの形でひとつになり、もとの世界に帰っていくと思った。
そう思ったし、それでも構わないと思いながら、ページをめくった。
けれど、物語の冒頭、登場したのは17歳の少年だった。
彼が成人になり、40代になっても、性行為もなければ残虐な描写も出てこなかった。
今回の物語のテーマはそこではないのだ、と思った。
コロナの描写がない理由
村上春樹の中で、戦争・カルト宗教・震災(阪神と東日本)の存在が大きく、それらは小説の中に印象深く描かれる。
でも今作はコロナ渦に執筆されたにも関わらず、コロナらしき描写はなかった。
これはただの想像で妄想に過ぎないけれど、
彼はもしかしたらコロナではなく、コロナによる死について考えたのかもしれないと。
悔いを残したくないと思ったとき、過去に書い(て納得できず書籍化されなかっ)た「街と、その不確かな壁」に、もう一度向き合おうと思ったのではないかと。
思えば、幽霊となって主人公らと交流する子易さんの存在は、その「悔いを残したくない」の表れなのではないかと思う。
過去作品を想起させるモチーフが多くある
これらは完全にこじつけなのだけれど、読みながら浮かんでしまったので書き残すことにする。
- 物語の大枠:世界の終わりとハードボイルドワンダーランド
- 主人公が少年:海辺のカフカ
- 「きみ」と女店主(過去と現実の象徴):色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年、ノルウェイの森
- 図書館:海辺のカフカ、世界の終わりとハードボイルドワンダーランド
- 深い森の小屋と、抜け殻:ダンス・ダンス・ダンス
- 耳・耳を噛む:羊をめぐる冒険、色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
- 子易さん:騎士団長殺し
- 何かが少しずつ違って見える世界:1Q84
おそらくほかにも過去作品とつながるモチーフがあるのかもしれない。
それは村上春樹が意図して組み込んだのではなく、もともと彼の中に強くあるモチーフなのだと思う。
だから、過去作品との連動性はおそらくない。
私がこの小説を、「彼の中に長年あった、あらゆるものを再構築した集大成」と感じた理由はここにある。
第1部の感想
事前情報なしに読み始めたらば、これは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「街」では…!と驚いたし、
この作品がただのリメイクではない予感が、主人公が17歳というところから想像できた。
「世界の終わりと~」のラストが衝撃的だったので、ラストが変わるのかもしれないとワクワクした。
(主人公の言葉に対する「影」の表情が強くこびりついて離れないほどの衝撃だった。影に顔はないはずなのに)
壁を越え、「きみ」とハッピーエンドを迎えるんだと思った。
なので、主人公の言葉を聞いたとき、私は「世界の終わりと~」の影と同じ表情をしてしまった。
まじかよ。
どうして。
なんで諦めちゃうんだ。
時の止まった世界で、「きみ」に似た女性と一生を過ごせるのは幸せかもしれない。
でも、目の前にいるのは「きみ」ではないし、
この世界の彼女と「きみ」がひとつになって結ばれるのが最高のハッピーエンドじゃないのかい!
と、机をバンバン叩きたい気持ちにかられたが、そんな抵抗もむなしく終わってしまった。どうして。
村上春樹の「小骨」
なお、あとがきを読むと、第1部が書けて「いちおう目指していた仕事は完了した」と思ったらしい。
思い直して第3部まで書いてくれたことに感謝しつつ、なぜ彼の中ではあのラストが「完了」なのか考えてみた。
もしかしたら村上春樹の中には、「このまま時が止まればいいのに」と思う何かがあったのかもしれない。
奥さんと出会うまでの恋物語という単純なものではなく(そうかもしれないが)、誰にも話せない何か大切な思い出のようなものがあるのかもしれない。「思い出」と呼びたくないほどの大きな何かが。
だからあのラストは彼にとって「これでいい」と思わせるものなのかもしれない。
だとしたら、なぜ第2部・第3部を書こうと思ったのだろう。
世間の批判が怖いから?
おそらく違う。
時を進めようと思ったからじゃないだろうか。
過去と向き合い、自分と向き合い、頭の中のぐるぐるした感情を整理し、今を生きることを選んだのではないか。
コロナ渦で死の可能性が近づいたとき、「悔いのない作品が書けたし、もういいや」ではなく、前に進もうと思ったのではないかと。
私は今作を読んだとき、「書ききったから引退します」と言われても仕方ないと思った。
それくらい集大成感があった。
過去の総清算みたいな感覚があった。
でも、もしかしたら、第3部まで書ききったことで、次作も書こうと思うようになったのではないかと。
(これは希望的観測も含まれている)
あとがきの最後にこう書かれている。
要するに、真実というのはひとつの定まった静止の中にではなく、不断の移行=移動する相の中にある。それが物語というものの神髄ではあるまいか。僕はそのように考えているのだが。
「街とその不確かな壁」あとがきより
時は動いてこそである。
第2部の感想
衝撃的なラストに打ちのめされながらページをめくったら、なんと主人公が現実世界に戻ってきている。
主人公はしばらく現実世界で過ごした後、「この現実に自分がそぐわない」という理由で仕事を辞める。
そして、啓示を得たかのように図書館で働くことを決める。
そこまはるで、現実と「街」の中間地点のような場所。
だから幽霊が出てきても驚くべきことではないし、主人公の「後継者」が現れるのも不思議なことではない。
そして彼はここで、「この現実に自分がそぐわない」と思っている(あるいは主人公から見てそう思う)少年と出会う。
不思議な能力と引き換えに、日常生活に支障がでている男の子。
両者は共通点があることでつながり、「街」のイメージを共有し、主人公のかわりに「街」へ消えた。
そして幽霊の子易さんは「これが正しい形だ」とでもいうように、成仏する。
主人公だけが、とりのこされている。
主人公が薄々感じている「違和感」
主人公は、「きみ」との別れをきっかけに、「街」への想いを馳せるようになった。
そして「街」へ行き、夢読みという仕事に就く。
自分にしかその資格がない唯一無二の仕事に。
しかし、主人公の夢読みはうまくいかない。
詳細は第3部で語られているが、序盤の「信頼感を得る」部分は得意としているものの、夢読みの言語が理解できない。
そのことに、彼は少なからずがっかりしたのではないか。
そんなときに、イエロー・サブマリンの少年に出会い、彼のほうがその資格があると考える。
これは私が「騎士団長殺し」を読んだときに抱いた感想だが、
村上春樹の小説の主人公は、何人かの人と交流し、その中で気づきを得たり、安心したりして、成長していく。
冒頭で孤独になったとしても、必ず誰かと交流する。
(それが免色さんと、人生の明暗をわけた決定的な違いでもある)
イエロー・サブマリンの少年との出会いによって、主人公が抱く「違和感」が具体化されていく。
自分は、あの場所にふさわしくないのではないかと。
子易さんが語る「人生の選択」について
主人公は、イエロー・サブマリンの少年を「街」に送り届けるべきだと考えた。
少年はこの世界では生きづらい。彼の願いを叶えてあげたい。
しかし、主人公には「街」に送り届ける手段がわからないと悩んでいました。
それに対する子易さんの言葉が、とても印象的でした。
彼がどちら側の世界を選ぶかについて、あなたは思い悩む必要はないのです。あの子はあの子自身の判断で、生き方を選び取っていきます。ああ見えて芯の強い子です。自分にふさわしい世界で、たしかに力強く生き延びていくことでしょう。そしてあなたは、あなたの選び取られた世界で、あなたの選んだ人生を生きていけばよろしいのです」
「街とその不確かな壁」 P503
かつて「ダンス・ダンス・ダンス」の主人公が、身勝手な親に育てられた幼い少女の運命に深く共感していたことを思い出しました。
この小説の主人公も、過保護な母親に育てられた少年の運命について、深く悩んでいる。
私は自分より相手を優先しがちな人間なので、主人公が少年のことで悩む姿に、とても共感したのですが、
小易さんの「あの子の人生はあの子が、あなたの人生はあなたが選ぶ」という言葉にハッとし、自分を大切にしなくてはと改めて思った。
そして主人公に向けられたこの言葉は、第3部につながっていきます。
哀しき再会
第2部の終わり。
「まじか」と思うラストでしたが、これよこれこれという裏切り方をされてニコニコしてしまった。
村上春樹の文体は、終始とても穏やかなのに、不意を突いて静から動に移行する。
その描写がとても好きなので、「まじか」となりました。
「きみ」と再会するシーンで思ったのは、主人公にとって「きみ」は、大切な存在ではあるものの、これからの人生をすごしたい相手ではないということだ。
彼にとってのハッピーエンドは、「街」で「きみ」と一生を過ごすこと。
でもそれは、どうしても叶わない。
でもたぶん、その悲しみを乗り越えられる時が来たのだと思う。
女店主との出会いによって。
第3部の感想
主人公こっちにいるーーーー!笑
イエロー・サブマリンの少年との交流をへて、こっちの主人公は「ここは自分の居場所ではない」ことに気づいていく。
そして「街」にいることの違和感が、「新しい動き(=女店主との人生)」に心が躍っていることを少年に気づかされます。
しかし、主人公は現実に戻ることに迷います。感情が体になじむまで、時間がかかるものだから。
主人公が「現実に戻ってもうまくいくかわからない」と不安になりますが、少年はこう言います。
心配することはありません、自分の心の動きに素直に従って行けばいいのです。その動きを見失いさえしなければ、いろんなことはきっとうまくいきます。
「街とその不確かな壁」 P647
2部の子易さんの「あなたは、あなたの選び取られた世界で、あなたの選んだ人生を生きて」という言葉とも繋がります。
自分を大事にすること、自分の心の声に耳を傾けること。
それが、「このまま時が止まればいいのに」という思考停止の呪いをとく、たったひとつの方法なのだと。
※超余談な自分語り
昔好きだった人とうまくいかなくて、「もしうまくいっていたら」と想像することがあります。
その中で、私も彼も当時の年齢で、いつも似たようなことばかり想像してしまう。
この小説の主人公と一緒だと思いました。
そして新しく好きな人ができたものの、彼は私を過去に閉じ込めようとしてきます。
思考停止の呪いを。
それをはねのけるためには、自分をしっかり持つこと。
私は何がしたくて、何をしてると楽しくて、どういう明日を迎えたいのか。
そういうことを考えるようになりました。
自分のことを考えることで、彼への依存心が減り、過去に閉じ込めようとする力に抗うことができています。
休職するまでは、自分より相手優先だったのを、自分優先に切り替えて、毎日が楽しくなった身なので、
この小説を読みながら、共通点が色々あるなぁと温かい気持ちになりました。
ラストのあと、主人公がどうなるか考えてみた
2部の終わりにでてきた少年。なにか大切なことを主人公に向かって叫んでいるが、母親に連れていかれる少年。
おそらくイエロー・サブマリンの少年と、過保護な母親だと思う。
そして少年は彼に、「街」にいる本体が戻ってくることを告げようとしていたのではないだろうか。
もうすぐ「虚空」から落ちてくるから、キャッチしてくれと。
そのことに気づけるかどうかで、ラストのあとの主人公の運命が変わると思った。
- 影が少年の言葉に気づけた場合
2部ラストの哀しき再会のあと、主人公は「きみ」との決別と、女店主を選ぶ決心をつけたとする。
その場合、街にいる本体と、影のどちらも「きみ」と決別していることになるので、あのときの少年の言葉が聞き取れる(思い出せる)ようになっている可能性がある。
その場合は、本体を無事キャッチできるだろう。 - 少年の言葉に気づけなかった場合
2部ラストの哀しき再会のあと、主人公が引き続き「きみ」に思いをはせた場合。
自分も「きみ」も影である事実を聞かされ、戸惑い、女店主のことを忘れてしまう。
その場合は、少年の言葉も無になり、本体をキャッチできず、影も消えてしまう。
ただし、主人公は女店主に対し「私は彼女を待っていたのかもしれない」と思っているので、
「きみ」との決別ができた可能性をとりたい。
再び本体と影が一緒になり、現実を生きていく。
ただし、女店主と過ごしたのは「影」のほうだったとすると、2人の関係は振り出しにもどるのでは…という気もしなくはないが、いずれにせよ本体も女店主に惹かれると思うので(影も第一印象で惹かれてたし)、
きっとハッピーエンドになるのではと思っています。